映画『インターステラー』を考える(ネタバレ要注意!)
筆者の大好きな映画監督クリストファー・ノーランの最新作『インターステラー』がいよいよ公開になりました。個人的には氏のキャリアの中でも随一の傑作だと思います!宇宙航行や新たな惑星でのシーンは実に雄大で美しいです。是非、劇場でご覧になられる事を強く強くオススメします!今回のエントリーでは本編を二度観賞した上で小説も参考に、解りにくい点や疑問点をまとめていますので、ネタバレを盛大に含みます。ご鑑賞後にお読み頂ければ幸いです。
世界設定
激的な環境変化にともない世界には砂嵐が吹き荒れ、植物の疫病(小説では桐枯れ病)の流行による食糧難で三次、二次産業よりも一次産業が重視されるようになった未来。主人公のクーパーはNASAの元パイロット兼エンジニアでしたが職を失い、嫌々ながら農業を営なむ二児の父です。「俺たちの若いころは食糧難で、野球どころじゃなかった」という彼のセリフから、一時期に比べれば食糧難は多少は改善された模様。しかし、最後に残ったトウモロコシも疫病の前に風前の灯火です。全ての植物がこのまま死滅するような事になれば、食糧難も然ることながら地球上の酸素が足りなくなって人類は窒息してしまう!そんな中、一度は解体されながらも再建されたNASAが秘密裏に進めていたのがラザロ計画です。
ラザロ計画
土星の軌道上に「彼ら」が設けたワームホールを通じて、新たな銀河系の惑星に移民する計画で、これにはプランAとプランBがあります。マン博士率いる先遣隊12名がそれぞれの担当する惑星を探索し、そこが人類の移住先として有望であった場合、シグナルを発信し救助を待つ事になっており、その救助と移民受け入れのための環境構築、及びプランB遂行の任を負うのがクーパー率いる宇宙船エンデュランスの乗組員達です。劇中ではミラー、マン、エドマンズが降り立った三つの惑星が有望とされています。
プランA
大規模なスペースコロニーによって現人類を移住させる計画。大質量のコロニーを宇宙に打ち上げる方法として、ブランド教授は「重力のコントロール」を提唱しますが、肝心の「方程式」が完成していない。この方程式の確立に、クーパーの娘であるマーフは教授と共に心血を注ぐわけですが、この理論には大きな欠陥がありました。実はこの技術を完成させるためには、ブラックホールの中心である「特異点」の観測データが欠かせないのです。そして、光すらも逃れられない巨大な重力の底からそのデータを持ち出す事は実質不可能です。プランAは机上の空論であり実行不可能である事を、ブランド教授は今際の際にマーフに打ち明けます。
プランB
プランAが頓挫した場合の苦肉の策として用意されたプランBは、受精して間もない卵子を保管庫に入れて運び出し、移住先の星で人工培養するというもの。つまり、地球にいる現人類をあきらめ、種の保存を最優先とした計画です。子を持つ父であるクーパーをはじめ多くの関係者はプランAの実現を第一の目標として行動しますが、ブランド教授の告白により、このプランBこそがラザロ計画の真の目的だったことが明かされます。
ミラーの星についての疑問
クーパー達が辿り着いた第一の星、ここでの1時間は地球の7年に相当します。重力は地球の1.3倍。しかし、この程度の重力差でここまで時間に差が出るものでしょうか?逆説的に言えば、重力が地球の0.8倍のマンの星では、時間が相応に早く進む(クーパー達の老化が早まる)のでは?映画ではこの点に関して特に説明がなかったと思うのですが、小説では「ガルガンチュア(巨大ブラックホール)の軌道上にミラーの星があるため、その影響を受けて時間の進みが遅い。」とのロミリーの解説があり、この時間の遅れがブラックホールからの影響によるものであることが明示されています。*1母船に帰った時、23年4ヶ月8日が経過していた事からミラーの星での滞在時間は三時間強と思われます。
クーパーとマーフの歳はいくつなのか?
ミラーの星から帰った後、母船には地球から23年分のメッセージが届いていました。その中にあったマーフからのメッセージには「今日わたしは父さんが出ていった日と同じ歳になった」というセリフがあります。これも小説でしか語られていなかったと思うのですが、クーパーの出発時にマーフは10歳。息子のトムは15歳という設定です。ワームホールに到着するまでに2年、ミラーの星でのロスを23年とすると、10歳+2年+23年でこの時のマーフはおよそ35歳と思われます。*2
これを読んでおや?と思った方は鋭い!出発時のクーパーが35歳だとすると、このメッセージを受け取った時、彼の年齢はワームホールまで移動期間2年とミラーの星でのロスを23年を足して60歳です。マンの星を訪れた後、クーパー達はガルガンチュアでの重力ターンを試み、そこで更に51年もの歳月をロスします。重力ターン直後のアメリアのセリフから、この時のクーパーが120歳だとすると計算が合わなくなってしまうのです*3。120歳からガルガンチュアでのロス51年を引くと69歳になりますが、ミラーの星からマンの星までの移動にあまり時間がかかっていないのであれば(実際、映画でも小説でもそれほどのロスを感じさせる描写は無かったと思います。)クーパーは60歳のままのハズ。この9年の差は一体どこからもたらされたものなのでしょう?
仮説①ワームホール航行時に起こった時差であると考えると、メッセージを送ってきた時のマーフは10歳+2年+9年+23年で44歳だったのかも?つまり、クーパーの出発時の年齢も44歳だったのだ!ガルガンチュアからワームホールを抜けて土星付近に漂流していたクーパーが124歳だった事を考えると、ある程度の説得力があるようにも思えますが、ワームホールで9年も費やしていたのなら、ミラーの星に着陸する前に、一度メッセージを確認していても良さそうなもんですよね…orz
仮説②ミラーの星からマンの星への移動と、ガルガンチュアに引き寄せられるまでの間に実は9年かかっている。劇中ではそれほどの時間経過を感じさせませんが、ミラーの星もマンの星もガルガンチュアの近くにあり、エンデュランスでの航行中もその巨大な重力からの影響を受けて、時間の進みが遅くなっていると考える事も出来ます。個人的にはコレだと思ってますが、何か有力な仮説がありましたらお寄せ下さいm(_ _)m
家族を連れ出そうとするマーフにトムは何故あんなにも怒ったのか?
映画では影の薄い長男のトム君ですが、小説では彼の心情に言及する部分がチラホラあります。小説版第三部243ページのマーフの独白から引用してみます。
わたしは農場とトウモロコシから、あそこの生活のすべてから離れる事が出来て喜んだ。おじいちゃんとトムに全部任せて、逃げ出したのよ。(中略)トムはあそこに留まり、みんなの期待に応えようと、来る日も来る日も畑で働き、自分の育てたトウモロコシが死に、子どもが死ぬのを見守らなくてはならなかった。(中略)わたしも兄さんを捨てたのだ。トムが反発するのも無理はない。
このページを読むまで、僕にはトムがあんなにも怒った理由も、あのシーンの必然性も感じられなかったのですが(映画の演出としてクロスカッティングのためにあるシーンだと思ってました。)これで納得がいきました。トムというキャラクターはNASAの人達との対比として、一般の人達の苦しみの代弁者として描かれるているのではないでしょうか。
クーパーステーションはいつ打ち上げられたのか?(プランAはいつ実行されたのか)
クーパーが救出された際、プランAで打ち上げられたクーパーステーションは既に土星の軌道上にあり、一朝一夕では成しえないような平穏な社会を実現した上、クーパー達の家を模した記念館まで設立されていました。このことから、クーパー達がガルガンチュアでの重力ターンにより費やした51年間のどこかで、プランAは実行されていたと推測できます。(つまりクーパー達が、ガルガンチュアの軌道を回っている最中に実現されたと考えられます。)
重力ターンの後クーパーはガルガンチュアに呑み込まれ、そこで四次元立方体の中でマーフとの交信を果たします。映画を観ていると、この時クーパーと中年のマーフの時間軸は合致しているように錯覚してしまいそうですが、地球のマーフは既に86歳以上のはずです。クーパーから観測データを受け取ったマーフの姿は既に過去のものであり、プランAはその数年後に実行に移されたと考えられるのです。
折角帰ってきたのにマーフが冷たいんじゃない?
子供たちのためを想って人類を救いに旅に出て、子供たちに会うために九死に一生を得て帰ってきた究極の親バカであるクーパーを、マーフは「親が子どもを看取るのは間違ってるわ。わたしを看取ってくれるのは子どもたちだけで充分よ。さあ、行って」と突き放します。これは何故なのでしょう?某映画レビューサイトに投稿されていたご意見で、個人的に一番納得がいったのが「もう親離れした娘が、子離れできない父親を突き放したのだ。」というものです。なるほど、この映画は父と子の愛を描いたものであると同時に、成長の物語でもあるワケですね!余談になりますが、このシーンはクーパーの心情を思うとやり切れないですよね。つい先日まで自分の腕の中にいた10歳の娘が、クーパーの感覚からするとわずか数年でその生涯を全うし、今まさに天に召されようとしているのですから…。ちなみに、この時のマーフは99歳*4。こんな歳になるまで、その上コールドスリープで2年の延命をしてまで父の帰還を信じて待っていたのだと思うと、余計グッときますよね( ;∀;) イイハナシダナー
エドマンズの死因
ラスト付近のシーンでチラッと出てくるだけなのですが、CASEがエドマンズのものと思われるポッドを掘り出しています。小説では「冬眠中に落石にあった」と明記されていました。それでは、もしこの不運な落石がなければ、アメリアはエドマンズに会う事が出来たのでしょうか?ワームホールまでの到達に2年、ミラーの星を訪れた事で23年、ガルガンチュアでの重力ターンにより51年を費やした彼女。ここまでで地球上では約76年が経過していることになります。エドマンズは出発当時何歳だったのでしょうか?明示されてはいませんが、少なくとも18歳以上ではあったでしょう。エドマンズの星がガルガンチュアからの影響を殆ど受けていないとすれば(地球とほぼ同じ時間の流れだとすれば)この時点で94歳以上であったと思われます。
「飛行士の着陸ポッドには二年間の生命維持に必要な物資が用意され、冬眠で適宜引き延ばせば場合によっては何十年も(映画では10年以上、と言っていたと思います。)観測できる」というドイルのセリフから、コールドスリープで20年ほど延命したとしても少なく見積もって74歳相当です。アメリアがラストシーンで宇宙服のヘルメットを外す所からエドマンズの星には酸素があるようですが、資源があるのかも判然としない未開の地で74歳の老人がサバイバルするのは非常に厳しいと思われます。(マン博士のように時間設定無しでコールドスリープを行えば、あるいは延命できるのかもしれませんが。)
何故クーパーはレインジャーを盗み出してまでエドマンズの星に向かったのか
個人的に一番疑問に思っているのがココです。最後の最後、大事なシーンなのにココだけ納得がいかない!マーフが「アメリアのいる星に行きなさい」と言っているので、クーパーステーションの人達もアメリアの生存は確認していると思われます。多分、救助の船も既に出発しているに違いないのです。どうして彼はNASAに堂々と要請してレインジャーを借り受けなかったのでしょう?老齢(といっても実際はアラフォーですが)のクーパーにはもうその機会が与えられないと考えたのでしょうか?僕はこの作品をノーラン監督の代表作である『ダークナイト』や『インセプション』をも超える傑作だと思っているのですが、最後のこのシーンだけが安っぽく思えて仕方がありません。男は黙って愛する女の所へ向かうぜ!的なハリウッドのお約束なのでしょうか。非常に悔しいです!何か納得のいく仮説がありましたら、是非ともお寄せ下さいませm(_ _)m
- 作者: グレッグ・キイズ,クリストファー・ノーラン,ジョナサン・ノーラン,富永和子
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2014/11/21
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