でんの子P『わらべうた3.0』に描かれる現代の病理。承認欲求とWeb3.0に翻弄される僕ら

昨日1/6にニコニコ動画にアップされた、でんの子Pさんのボカロ曲【蒼姫ラピス・メルリ・マクネナナ】わらべうた3.0【オリジナル】。これが非常に興味深い内容だったので、今回は楽曲のご紹介を兼ねて、この曲に込められたメッセージを紐解いてみたいと思います。

 

この楽曲では、まず「一ばん」でLINEの既読スルーについて描かれ、主人公はそれによって笑顔を失い、続く「二ばん」ではFacebookにおける、いいね!の格差によって、心を失います。「三ばん」は言わずもがな*1ですが、「四ばん」で主人公はくろいおへや(ブラック企業)に入って、倒れるまで働いた結果、遂に命を失ってしまいます。

 

「一ばん」から「三ばん」はSNSを通じたコミュニケーションについて、言うなれば「承認の格差」に振りまわされる主人公が描かれているわけですが、ブラック企業問題を描いた「四ばん」の内容は、少々これらとかけ離れているようにも思えます。しかし、実は今メディアでさかんに取り上げられるブラック企業問題についても、承認欲求は深く関わっていると考えられているのです。以前に当ブログでも取り上げた齊藤環氏の著書『承認をめぐる病』と、ダイヤモンドオンラインの記事から一部引用してみましょう。

承認欲求そのものは人間にとって普遍的なものだ。最近の傾向として、特異に思われるのは、マズロー欲求段階説で言えば、より高次な欲求であるはずの「承認欲求」が全面化し、極端にいえば「衣食住よりも承認」という逆転が見られつつある。

 

若い世代にとっての就労にもやはり同様の傾向が見られる。彼らにとっての就労は、もはや「義務」ではない。彼らが「就労したい」と望むのは、基本的に承認欲求のためなのだ。就労動機の変化は別の言い方でも表現できる。それは「生存の不安」から「実在の不安」へ、という変化である。かつての執着気質の背景にあったものが「生き延びること」への執着と不安であったのに対し、現在の若い世代にとっては、それがさして重要でなくなりつつあるのではないか。かわって前面に出てきたものが「実在の不安」、すなわち「自分は何ものか」「自分の人生に意味があるのか」といった不安ではないか。現代においては「実在の不安」こそが重要であり、軽症うつ病などの原因になりやすい。さらに言えば、この「実在の不安」は先に述べた「承認欲求」と表裏一体の関係のもとで若者の気分を構成しているのである。 
 

そしてもう1つの問題が、承認欲求に関するものだ。ブラック企業が突きつけている問題の側面には、僕らのプライドに関する問題がある。明らかに理不尽な会社が生き残るケースがあるとすれば、それは「同僚によく思われたい」「きつい環境でも頑張る自分が好き」「職業があるという優越感」「家族にいい顔をしたい」といった、自分を肯定してくれる仕組みを心のどこかで社会に求めているからだろう。

上のダイヤモンドオンラインの記事にもある通り、ブラック企業というのは齊藤環氏が指摘するような、現代人の肥大化した承認欲求によって支えられている部分があります。でんの子Pのこの作品は、そういった現代の「承認をめぐる病」を、的確に描き出したものと言えるのです。

 

また、この『わらべうた3.0』というタイトルも、非常に風刺が効いていると思いませんか?僕達は現在、Web3.0と呼ばれる情報革命の真っ只中にいますが*2、この曲の主人公も現代人らしくスマホを片手に持ち、それどころか、あの世と思われる世界の住人たちの手にすらスマホが握られています。生活をより便利に、豊かにしてくれるはずのWeb3.0が、ここではまるで世界を支配しているかのよう。

 

そして、このような現代的なテーマを扱う曲調として、でんの子Pは童歌のようなメロディを採用しています。そこには、目まぐるしく変化する情報化社会にあっても、日本人の心はまだ童歌が歌われていた昭和の頃から、何も変わっていないのではないか?この社会的な変化は、そんな僕達にとって本当に有益なものなのか?という疑念が込められているように感じます*3。Web3.0時代のわらべうた。でんの子Pはこの曲を通して、承認欲求に翻弄される僕らと、情報化を急ぐ現代社会に警鐘を鳴らしているのではないでしょうか?

 

ここまでお付き合い頂き感謝m(_ _)m

承認をめぐる病

承認をめぐる病

 

*1:一世を風靡した例のSNSの事です。「誰もいなかった」のフレーズが食い気味に入ってくる所が面白いですね(笑)。誰もいないSNSには用が無い、早々にページを閉じる主人公が目に浮かびます。

*2:Web3.0については様々な論議がありますが、Web2.0がブログやSNSを代表とする情報の双方向化と定義されており、Web3.0はそれがユビキタス革命と結びつく事によって、リアルとウェブの境界が無くなっていくこと、というのが一般的な理解かと思われます。

*3:さらに、この曲をWeb2.0におけるCGM文化の象徴のようなボーカロイドが歌い、リスナーに語りかけるという、何とも皮肉な構造になっているワケです。